私の言語学に於ける斜め上の発想の出発点は「ソシュールの一般言語学講義」の中にある「言語には正の項が無く、差異しか無い」と言う命題であるが、言語学の従来の解釈とは全く違う方向に向かい、音素の離散性を再解
言語学者でも哲学者でも、本気で言語のメカニズムを理解しようと思ったら、音声言語だけを言語とするのではなく、ソシュールの記号が、特定の知覚運動チャンネルに特化する事で、視覚身振りチャンネルの場合は手話、
2013年からはじめた家庭菜園も12年目を迎え、一通り同じことを繰り返しながらの作業を続けています。 本に頼ることもほとんどなくなり今までの経験を頼りに栽培を続けています。 まぁ、こうしたらこうなるという感じではありますが、慢心とか手抜きをすればてきめんに影響が現れるので心してかからないと。 とは言え、天候により出来不出来がでてくるのも事実です。 昨年は夏の猛暑と少雨で里芋が全滅、インゲンも高温障害で...
私は、哲学者というのは頭の回転が良すぎる人だと思うが、彼らに絶対的に足りないのは、言語の真のメカニズムの理解である。 だから、宇宙や存在や人間に関して考え過ぎてしまって真実が見えなくなっている。
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