持戒と樹の伐採の譬えについて
とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。斫樹取果喩昔、国王有り、一つの好樹の高広極大なる有り、当に勝果を生じて、香、而も甜美たるべし。時に一人有りて王の所に来至す、王、之に語りて言わく、「此の樹上、将に美果を生ず、汝、能く食するや不や」。即ち王に答えて言わく、「此の樹、高広にして、之を食せんと欲すると雖も、何に由りてか能く得んや」。即便ち樹を断ちて望んで其の果を得る、既に獲る所無し、徒らに自ら労苦して、後に還た竪んと欲すれども、樹、已に枯死して都て生理無し。世間の人、亦復た是の如し。如来法王、持戒有るは、樹、能く勝果を生ず。心に願楽生じて果を食することを得んと欲すれども、応当に持戒して諸もろの功徳を修すべし。方便を解せざれば、返りて其の禁を毀し、彼の如く樹を伐れば、復た還活することを欲すれども都て得べか...持戒と樹の伐採の譬えについて