学部卒だけなら世界的には「MARCHはFラン」
世界的に見れば、小生は正しいことをやっていた。「MARCHはFラン」も「MARCH」も、ちゃんと耳にしたのはコロナ期で時間的余裕ができて以降という情弱(どうでもいい情報)だが、思い出すのは1984年の大きな決断。意気揚々と進学した専門分野に幻滅し、一生誇りを持って飯を食い続けられる分野に入り直す選択をして、浪人もしなかった小生が(自主的に)転学留年。こうしなかったら、そのまま悶々と卒業し、母校のブランド力だけに頼って専門と関係ない「文系就職」をしていたかもしれない。一年という時間と、専任身分最終年度の収入を犠牲にし、修士号博士号を得て、「好き」を仕事にできた小生の半生は、「これでいいのだ」と総括できるだろう。学部卒だけなら世界的には「MARCHはFラン」